海外こぼれ話   もう一つの世界 松戸歯学部第二解剖学講座 小澤幸重

 
私は「歯の比較解剖」という悠長な仕事をしている。要するに机の上に化石から人間までの歯を並べて、進化だ系統だと論じる。だから、勢い海外へも歯の標本を見に行く。つまり博物館だ。海外の大学の博物館も標本がよく整っていて実ににうらやましい。国の権威を博物館で示したのだから、大学の博物館も格を示すのかもしれない。日本には希薄な伝統だ。

 
 旅をすると様々な経験、勉強する。まずビール、これはどこでも実に美味い。イギリスの研究者は実に働かない。遅く来て、昼にパブでビール、夕方にはまたパブだ。しかし学問への姿勢は真摯だ(?)。大英博物館(自然史)に入って右に巨大なゾウ化石が展示されていた。頭蓋を観察したいと希望するとすぐにおろしにかかった、手元が狂って2メートルも落下、粉微塵に!が、開拓者の精神は忘れていない、平然と「
don't worry」と!。私は歯を切断して顕微鏡で観察する。貴重な標本でも研究なら、切断即OKだ。反対にフランスは保守的、日本の博物館でも貴重な標本を切断した経験はほとんど、無い。こんな訳で、失敗を繰り返しながら、私の学位論文は内外の友人に支援された試料による。

 
試験問題もあさる。有名な化石人骨の額(写真)の丸い穴。これを学生に示して考えさせる。丸い孔、周囲の骨の様子から生前の手術と回復を読みとれればよい。旧石器人なら石器で手術したことになる。
呵呵!

  ゼンケンブルク博物館の前頭骨に穴のある頭蓋


 我々は否応なしに英語圏だ、もう一つの世界、スペイン語圏を考えたことがあるだろうか。NatureScienceで研究を代表ししてよいのか、と。イタリアの会議にはアメリカ人は参加しないといわれる(理由はラテン系で時間にルーズなどだが、詳しくは知らない)。国際解剖学会(ローマ)も同様だったが、世界各国から沢山参加した。スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラに滞在したとき、日本人は無論いない。歯の会議も、見事に英語圏の研究者がいない、スペイン語圏以外からはイタリア人が一人のみだった。スペイン語が公用語だったらしいが、何語でもよい、何でもありだ、ケチなことは言わない。実におおらかだ。理解し合えればよい。楽しく日本語を交えて討論した。流行のインパクトファクターなど関心ない。自分を取り戻したような気がした。

 
 そのためか?教会のミサに行ったとき、前列の老女が私の手をしっかりと握り、ヤポーネ、ヤポーネ、と繰り返していた。脇の下から汗が出た、その長く感じたこと。遠くから見ていた友人から、日本のキリスト、と間違えられたんじゃない、と冷やかされた。スペインは食べ物も日本人にあう、人間も陽気だ。ここに英語には左右されないもう一つの世界、七つの海を制したスペインが、もう一つの世界がある、と感じるのは私一人だろうか。

   サンチャゴ・デ・コンポステラの教会


 日本へ帰ると、大学教員は実に忙しい、よく働く。国立大学でも法人化へむけてひた走る。一方では評価だ。英語論文だ。比べようもないものを数値化し、生まれ、育ち、学び、遊び、考える、と言う点で一番長くつきあってきた母国語をさておき。ひたすらに走る。が、大学にゆったりとした時の流れを、と考えさせてくれたのが、もう一つの世界だった。
(日大広報495号平成15年 改稿)