書評
元気の出る地道な研究 萬年甫の4著作
猫脳ゴルヂ染色図譜 Atlas-cyto-myeloarchitechtonie atlas of the cat’s brain 岩波書店 1988
脳の探求者ラモニ・カハール 中公新書 1991
動物の脳採集記―キリンの首をかつぐ話― 中公新書
ラモニ・カハール(増補 神経学の源流2) 萬年 甫編訳 東京大学出版会 1992
解剖学者といえば故三木成夫が地団研のちょっと古い方々にとってはお馴染と思う、講演もしていただいた方である。今回紹介するのは知る人ぞ知る大解剖学者「萬年 甫」とその本4冊(ちょっと古い著作であるが)である。萬年甫氏はけっして一般受けする派手な解剖学者ではない、否、解剖学の泰斗である。氏が描いた脳の図をみて友人の病理学者が「脳が生きている!」と感想を漏らした。故井尻さんに教えを頂いた私にとっては、井尻さんが高等学校の先生時代の教え子であり、わたくしが所属していた医科歯科大学の医学部第三解剖の教授でもあり、同時に三木成夫先生がそこの助教授でありました、という奇縁でもあります。
さて、萬年氏は生涯(といってもまだ壮健で研究し各大学で講義もされている)を脳の研究に費やしている。大著「猫脳」は古本屋で15万円の値がついている、値段だけでなく私一人でやっと抱えることが出来る、本文が縦51,5X横36,5X厚さ1,5cm、一方図版は縦65,5X横51,5cm177図が納められている代物である。どの図も神経細胞一つ逃すことなく描かれている、まさに大著である。この本は、会員の皆さんにとっては専門外の内容であろうが、それはとにかく描画を見て頂きたい。素人でも、十分内容の凄さが伝わってくる、圧倒され、かつ楽しめる本である。脳とはこうなっているのか、と。
猫の脳の連続切片を作成し(たとえば直径5cmとして50μmの厚さの切片を1000枚が総て連続でないと意味を持たない。ヒトの脳では脳の大きさの切片を4000枚は必要だろう)顕微鏡下で全切片の全神経細胞をプロットした本である。神経細胞を観察するといっても一筋縄ではいかないのである。神経細胞は長い突起(俗に言う神経、神経線維である)を持っている、その突起を違う切片で追っていかなければならない。一枚の欠けもない1000枚の切片を作らないと完全にならない。神経の突起そこから出ている棘、そしてこのような神経細胞を分類までしている。
神経細胞の染色(ゴルジ法)は改良されたとはいえ知る人ぞ知る難しいに輪をかけた代物である。B4の絵ではない。結果的に絵は畳大になる。その丹念な努力と継続力には驚くほか無い。これが観察なのだ!と学ぶことが出来る。当世研究者気質の例だが、数μmから十μmの厚さの切片を作るにも四苦八苦し、適当に流しているとみるのは私の僻みだろうか。同時に、自分の作った切片と染色に対して疑問がない、だから素晴らしい切片が理解できないように感じられる。反省する余裕すらない。つける薬がない、というより成果に追われている悲しき現実なのだろう。
氏の仕事には、試料作成に先立つ猫の問題もある。氏曰く観察に耐えうる良い脳は在職中に一つだけであった、と。この仕事を少ないスタッフと奥さんとの共同作業で成し遂げられた。よく井尻さんからOsbornの「Proboscidea」(上・下)の本の厚さと重さ、内容について斯くあるべきとお教えいただいた。Osbornは凄い!しかし本をまとめる弟子がいたのである。日本の研究室ではスタッフがそれぞれ独立して仕事をするのが(自由の?)伝統であるのかも知れない。猫の脳神経のこれだけの仕事を成し遂げられたことに敬意を表さずにいられない。藤原賞は当然であろう。繰り返すが、図書館で是非ご一覧願いたいものである。
これだけの仕事を成し遂げられたのは何か。無論、才能はもとより、氏の尊敬するノーベル賞のラモニ・カハールを挙げることが出来るであろう。その論文訳(スペイン語)とご自分の自伝抄(ラモニ・カハール)、カハールの伝記的抄(脳の探求者)を出版されている。カハールの標本を観察した動機から、近代神経学までについて知ることが出来る。解剖学に属しているとカハールはゴルジとともにゴルジ染色法による神経細胞の研究で誰知らぬものはない。我々は、神経細胞は再生しないと教授されまた教授してきたが、しかしカハールがすでに神経細胞の再生を言及している。いつの間にかどうしてか再生しない伝説が作られた。今頃になって私は、教科書鵜呑み勉強法に気づくという恥を忍んでいる。そして氏はフランス語を独力で習得し、原文の文献(ゴルジの論文)にあたるという努力家でもある。そこには、英語一点張りのインパクトファクター等々に対する強烈なアンチテーゼとしての国際主義を読み取るのは私の独りよがりだろうか。
そして最後は「動物の脳採集の旅」である。これまたおもしろい当時の解剖学者の連携と努力、欲目で言えば東京医科歯科大学の解剖学教室のレベルの高さ(有る解剖学者に言わせると当代随一の解剖学者が集まり最高のレベルだったとろうとのこと)を窺うことが出来る。振り返って、そのような環境で勉強できた自分の幸運、そして紹介いただいた井尻さんをはじめ周囲の方への感謝、それに答えられない自分の非才を恥じ入るばかりである。カハールの伝記抄を居間のテーブルの上に置いておいたら家内と子どもが「おもしろい」と先に読んでしまったのを思い出す、手軽に読める本でもある。
落ち穂拾いのような私の仕事にとっては、「斯く有りたい」(無論望外の目標だが)と望むと共に心から励まされる一連の著作である。図書館で是非一読、ご一覧願いたい。
最後に萬年氏の一文「著書がどれほどすばらしくとも、それは所詮文字にすぎない」自分の標本を観察せよ!と。地団研の先達から学んだことになんと共通する謹言だろう。
そくほう 630号 2008年 一部加筆