井尻さんの仕事を改めて評価する 東京支部 小澤幸重
この十年の私のテーマは「歯とは何か」である。約30年間仕事をして自分なりの答えを纏めつつある。そこで井尻さんの仕事に改めて出会い(?)、感動した次第を紹介する。今更、井尻さんでもあるまいとお叱りを頂くかも知れないのであるが、それでも井尻さんなのである。
歯は顎の上にあるがすべて形が違う。これを体の構造から考えて、歯の形にはそれぞれの顎の位置特有の因子があるからだ、としたのはButler(1939)である。これを「場の理論」と呼ぶ。この説は歴代の研究者によって強化され、Osborn(1978)によってクローン説まで発展した。そして今、遺伝子解明が脚光を浴び、歯の形態形成要素として「位置の遺伝子」が唱えられている。遺伝子、細胞因子がかまびすしく叫ばれ、これを絡ませないと研究費もままならない。しかし、顎も歯も形態形成要因はこれまで特定されていない、それが現状である。
形と作るというのは非常に複雑であって、顎や歯を特定の遺伝子に当てはめよう(というのはまだまだ無理だし、ホメオボックスという考えは「場の理論」を一歩だに出ていまいと、私は勝手に考えている。近年、歯のES細胞(胚性幹細胞)から歯を形成することが脚光を浴び、私も一日も早く実現することを期待している、しかし、少なく見積もってあと百年は・・・・・というのが率直な感想である。
さて近年になり、歯胚(歯の原基)を違う歯の場所(歯槽)に移植する実験が注目(?)浴びた(一部は、臨床的に行われているが)。その根拠は「位置の遺伝子」であろう。
しかし、井尻さんたちは、半世紀前の場の理論が出たときにすでに同様の移植実験を発表している(1943年)。Butlerは実験までには至っていない。それにしても、第二次大戦が風雲急を告げる中で、このような実験をいち早く行ったことに敬意を払わずにいられない。論文の紙質もざら紙、ほんの数ページ弱の論文であるが、今もその価値は衰えていない。しかし何故か、井尻・菅沼の歯胚移植実験は忘れられている(?)。
この論文が英語で書かれていないから、というのは言い訳に過ぎまい。以前紹介したノーベル賞のラモニカハールはスペイン語で論文を書いている。かれは研究者が引用しないからと、スペイン語で書かれた弟子達の分厚い論集を出したと、万年先生より伺った。この気迫が今の日本には必要だろう。
もう一つ大切だと感じることは、仮説と実験に至る過程である。紙幅がないので結論を書くが、井尻さんの実験は系統発生と個体発生を統合した結果だ、と私は考えている。Butlerも論文を読むと体の原則から場の理論を導き出している。ここから教訓を汲み取れるだろう。げに、臓器の再生にあたって系統発生を忘れたり矯めてはならないのである。
(そくほう 一部改変)