井尻さんの訃報に接して

井尻さんの訃報はショックでした、すぐお宅へ伺ったのですが不在で、大森さんの助言もあり翌日の弔問もやめました。その夜、私どもの教室の井尻さんと御縁のある真野、三島、鈴木の各氏と喧噪の居酒屋でまことにささやかな追悼会をして、夜中まで沢山の思い出を語り合いました。

諸先輩、同輩、後輩の井尻さんと縁の深い方々に比べ、私はあまりにも小さい存在ですが、それでも三十余年公私ともに厄介になりました。突然訪ねた私に、アルバイト、研究、就職、哲学の勉強、際限なくお世話頂きました。新婚当時、今は亡き少年少女新聞の金子さん、そして後藤さん夫妻共々お宅で資本論や哲学の勉強をしていただきました。「おまえのような馬鹿は・・・」と怒られるのは人後に落ちず、が、バカだから努力を怠らない、これが信念となりました。井尻さんと会えば必ず勉強になりました、帰ってから話の内容を書き留めました。例えば哲学は生活の中にあること、否定的精神は独創であること、単に批判してなにが生まれたのか、と。

私は、地質出身でなく古生物学も知らず、古生物と生物学を統一した研究がしたいと訪ねました。井尻さんから「進化の事実は化石である」、歴史(地層)に弱いと化石の研究が出来ないと諭され、お供をして露頭へ連れて行っていただき、地層観察の手ほどきを受けました。研究テーマについても、デスモスチルスは「日本的で世界的な」テーマだが、ゾウは「世界的でかつ世界的」なテーマだと、どちらも研究する機会を与えられ本当に幸せです。先日、ようやく歯胚の培養が見えてきたことを報告し、あした。100種の歯を見ないと比較解剖でないと言われましたが、事実100種を越えてから世界各地から問い合わせが来るようになり、少しながら自信も付きました。しかし、過信、慢心の陥穽に落ちないよう、肝に銘じています。

 井尻さんからすごく怒られ、進路を変えようとした時、大森さんの「研究を続けなさい,又という日がある」名言で救われました。井尻、湊両氏の「地球と生物との対話」の対談の直後、現場にたまたま行きました。そこで天才と鬼才の鬼気迫る雰囲気を味わえ、生涯の思い出です。井尻さんを中心とする天才、秀才の諸先輩、この凄さはほかにないのではないかと思います。

 井尻さんから数多くの標本をお預かりしています、誰でも研究できる形で保管したい、と相談していました。今後、奥様の了解をいただくことが出来れば、みなさまと相談してよい形で残したいと考えています。  (そくほう 2000年 一部改稿)