3 古生物学的時間と生物学的時間の違いについて
「化石は地質時間(万年単位)、現生生物は現在時間であること」「時間の違いは法則が異なることを意味する」
ここでは時間のスケールの違いとそれに起因する研究上の問題について検討します。
時間あるいは歴史の捉え方は生物学と古生物学では全く違うということはこれまでみたとおりですが、これは頭の中では理解できたつもりでもいざ現実問題となるとなかなか難しい問題なのです。それは、古生物学の研究者が現在の生物の現象をみるとき(多くは本に頼ります)、あるいは生物学の研究者が化石をみるとき(これも本に頼ることが多い)、それぞれ「理解したつもり」つまり「理解したという錯覚」に陥っているのではないかと受け取れる記述にしばしば遭遇するからです。
進化の本を読むときそれほど意識しない時間の問題ですが、それはある意味乗り越えがたい壁となっている現実がありますので、その原因を検討してみます。
この錯覚あるいは困難の大きな原因は、いろいろな本の記述を読めば一目瞭然ですが、年代が数値としてハッキリと書かれていることによります。つまり時間は数値として(外見的に)捉えやすい点に一因があるといえます。
1000年の現在時間と1000万年の地質時間の差を体で実感できるでしょうか?博物館で化石だけで1000万年前の化石だと分かる人はまずいないと思います。1000万年前の化石でも千差万別です。これは実際に化石の出た地層を掘ってみないと実感できないのです。実感できるのは、まず専門家以外ほとんどないと思います。まず普通の地層を感じていない人には無理でしょう。
それゆえ生物と古生物の現象を吟味する場合、専門以外の分野の結論に慎重にならざるを得ません。この両者の時間を的確にとらえているのはやはりダーウィンでしょうか、かれの化石や生物の観察の広さ深さは感嘆せざるを得ません。
時間の違い:
さて、生物学では時間を日常の感覚で捉えます。たとえば生物の寿命からみればわかりやすいと思います。一生涯の長い生物は植物では1000年杉、セコイア杉(4000年と見積もられる)短いものでは一日以内の生物もいるようです。藻類や最近などをみてもおおよそ1万年を大幅に超える生物はないようです。
ということは、われわれの時間の感覚は1万年以内、通常100年以内でしょうか。実験室に入ると、長期的な実験でもメンデルの遺伝の実験などの50年を超えるのは僅かです。通常生物の実験は長くて数ヶ月短いのは数日です。その範囲の実験を数千万年の進化の原因に引き伸ばすことが可能でしょうか?
一方、古生物学では10万年、100万年、1000万年、一億万年単位(具体的には地層によって)で時間を捉えます。実際に化石を採集する現場では、「地層」によって年代を測ります。これを「地質時間」あるいは「化石時計」と言います。
また地層は地域性があり、全地球上を均等に覆っているわけではありません。地層を対比して相対的な地層の年代区分をします。対比によっては時代がずれることがよくあります。これに対して地層の中に入っている同位体などを用いて時間を決める方法を絶対年代法(地層の対比によらないという意味)といいますが、その方法も各種あり、何々地層の絶対年代があたらしく測られたという話題がよく持ち上がります。つまり、極端に言えば地球上すべての地域が対比できる地質時間の決め手はない、ということになります。
このような問題もあることを念頭において振り返ると、単純に時間と言っても生物学的時間は古生物学的時間のおおよそ1万分の1以上であり限りなくゼロ(0)に近いのです。これは両者それぞれの時間に起こる現象は同じように見えても、同じである可能性は限りなく0に近いということを意味します。比喩的に言えば、ニュートン力学と量子力学の法則の違い、のようなものがあるだろうと言えます。
研究比較対象の違い:これもわかりきったことですが、古生物と生物の時間の違いがもたらす研究対象の違いを改めて考えてみます。
古生物は化石になっているのでいきおい残るのは体の硬い部分が中心となります。例えば貝の殻、脊椎動物の骨や歯などです。そこには筋肉や血管、細胞、遺伝子のあることは希です。古生化学という分野、あるいは化石からDNAが発見されたなどの報告もありますが、それはごくごく一部でありかつ古生物の代謝系を扱うまでに至っていないと行って良いと、私は考えています。
よって残された硬い部分の形の比較によって種類や相同性などを比較し、系統樹を作ります。古生物学は基本的に形を基本にした学問であり、種の判定も形をもとにします。
生物学の場合は、殻や骨、歯以外に色、毛並、羽の形、遺伝子などなどの化石では失われてしまう体の部分が研究に使われます。むろんこれに加えて生息地域、発生過程(個体発生)なども研究されます。この研究対象全てが比較され種の判定を行います。
このような生物学の研究成果を硬い部分と関連させ、その上で現生生物の硬い部分を化石(古生物)と比較するということになります。その次に古生物で化石に残らなかった部分が類推され、復元や系統樹に推定され反映されるのです。つまり現生生物から進化を推定するということになります。
まとめると、古生物学的研究対称は進化の事実なのに対して、生物学的研究対象は進化を推定する材料だ、ということになります。
個体発生(学)と系統発生(学)の違い:こ
2の用語の項目で触れたように、研究対象の性質の違いからくる個体発生と系統発生の意味がまったく違います。さらに詳しくは、3系統発生と個体発生の関係において、Haeckel(1863 )の提唱した「個体発生と系統発生の関係」を、さらに8の獲得形質、でも検討しますが、ここではそれぞれの時間に起こる現象の違いを比較して検討します。
まず両者ともに発生と名前がつけられているのですが、時間のスケールが全く違うので実は似て非なるものだ、ということはこれまでの説明で分かったとおもいます。さらにややこしくしているのは両社の現象がある意味で似ている、ことでしょう。
進化(系統発生)するには種が形成され、変異、変化することが必要です。この移り行く根拠、原因として個体発生の変異が進化につながるのだ、と言われています。そこでまず個体発生から見ていきます。
個体発生は、配偶子形成(減数分裂)に始まり、受精、卵割、胚形成、成長、成熟、老化、死などの現象に区分されています(発生学では配偶子形成から形態が完成するまでを扱うことが多いのですが、今は成長、老化も含めて個体の死まで扱うようになっています)。このうち配偶子形成から胚形成の発生初期が個体変異の基となる変異が最も起こりやすく、同時に基礎的な構造が形成される時期といわれています。
体の基礎的で大切な構造は種類が違っても同様であることが多く、この生物相互の類似性の高い基本構造が分化するのが発生の初期なのです。
この初期発生の時期は、基本的構造の形成と同時に遺伝子が変化(あるいは突然変異となり)も生じやすく、これが生じ表現型となり、これが一定の集団あるいは種全体に広まると新しい種の形成となり進化するというわけです。この様に書くとしごくごく腑に落ちやすいのですが、詳しくみてみると生物現象はととても複雑です。
まず遺伝子が突然変異などの原因で変わったとしても、変化した遺伝子がある特定の形態を形成する、つまり表現型となるためには目もくらむような膨大な過程を通過しなければなりません。しかも変化した遺伝子は劣性遺伝子となりやすく対立遺伝子を克服しなければなりません。うんよく安定した優性遺伝子となっても、RNAや転写因子がそれに見合うような変化をしていなければ一つの安定した体あるいは種の形質の遺伝子となることはできません。
さらに遺伝子発現には遺伝子と細胞質内の様々な構成要素との調和が必要です。転写因子ひとつあるいは酵素一つ欠けても発現しません。この膨大な代謝系を運よく細胞の変化までたどり着いたとしても、次は細胞の周囲の細胞と、組織、器官そして体全体との代謝を含む調和が必要です。この全体的調和が取れて初めて安定的な表現型を持つ遺伝子となります。ちなみにこの調和の失われた現象が「癌」などの病です。
以上が生物学時間の中でおこる大よその現象です。化石を対象に研究しているとこの複雑な経路は理解しにくいようです。つまり教科書的に、弱点は見ないで、頭の中だけで(観念的に)理解することがおおいように見受けられます。
(余談:以前「歯根(歯と顎の骨を結びつける組織)に働いている遺伝子の数はどのくらいありますか」と専門家にお聴きすると「約10000位でしょうか」との答えが返ってきました。今では骨を吸収(溶かす)する細胞の働きには100万あるいは200万ともいえるほどのRNAの経路があるという予想だそうです。この一つ一つを明らかにしている分子生物学などの研究に頭が下がる思いと共に、その途方もない生体機構には驚くしかありません。)
一方、古生物学的現象である化石はどうでしょう。化石は生きているときは類似する生物と同じような代謝をしていたと推定しても、死んで腐敗して溶解し、あるいは水などで運ばれて(これを運搬篩別作用)、埋没し(堆積作用)、あるいはまた洗い出されて再埋没し(二次化石)、地層の一部となります。この万年以上かかる途方もない過程を化石化と呼びます(化石化については井尻正二:新版 科学論(下)大月書店、1977年23-37頁に詳しく解説されている)。この時間を「地質時間」と言い、化石は地層で理解します。まえに触れたようにある化石は特定の馳走に見つかるために、化石を基準にして時代を推定することがあり、これを「化石時計」とも言います。
それはともかく、このようにして化石が作られ、化石の形がつくられるのです。このような化石化の分析の上に立って化石の形質の分析をするのが古生物学です。これまた生物学者には理解しにくいようで、「化石は不完全だ」と堂々と公言する方も多いようです。古生物学は、化石の不完全面を認識して化石の生態を探るわけです。そのための方法は昔から古生物学的研究法として検討されてきました。
そして、もっとも重要な点は化石が発見されて初めて進化の事実が分かるということです。化石なくして、進化の事実はあり得ないのです。
さて、古生物学に生物学の現象を重ねるとどのようになるでしょうか。上記のような生物学の現象が何千回、何万回繰り返されて新しい種になるのだと、これはきわめて理解しやすいようです。しかしこれは頭の中だけの理解です。上に簡単に記述した生物学の膨大で複雑な現象の中のあるひとつが安定的に何千万年にもわたって繰り返すというのは推定に、悪く言えば希望的観測に過ぎません。
その実験は不可能で、現実的ではありません。日常の短い時間に起こる現象が万年の間繰り返されるなど何の根拠もないのです。むろんあり得ますが、それは膨大な可能性の一つ(ほとんどゼロに近い確率)の推定と言わざるを得ませんです。(ある遺伝子が発見されこれが進化の要因だ!などと)断定することなどとうていできないということですません。
古生物の現象は残念ながら実験不可能なのです。これを理解して初めて自分の研究の地球規模における三次元的位置を確認することができるのです。
(余談:これを私は自分の研究を「三次元的に観る」「自分の研究の弱点は自分が一番よく理解しなければならない」と考えています。)
つまり、古生物学は、(証拠の事実は完全ではありませんが)生物学では実験不可能な時間(歴史)的な直接証拠によって進化、系統発生を立証するただ一つの学問なのです。そして、これ以外の学問は進化の傍証を固める学問なのだ、と言って過言ではありません。さらに現在の生物学の成果から推定すると、特定の進化現象の生物学的要因は一つではない、と言えるようです。
(余談:恩師(井尻正二)が「恩師の藤田恒太郎先生(東京大学教授の解剖学者)は化石の現場に来て落盤にあった」とよく話されていたこと、これまた恩師の三木成人先生から私がデスモスティルスの化石の露頭を秩父に観に行ってくるという報告に「よ〜く地層の顔を見てきなさい」と忠告を与えてくださったことを思い出します。優れた科学者はこのように違う分野に十分敬意を払うこと、そして、HaeckelやBolkといった発生学の先達も化石をよく研究していたことを反省しました。)